大バッハの最後の子供ヨハン クリスチャンは1735年生まれでバッハ50歳の時の子供である。ハイドン(1732年生まれ)とほぼ同時代である。他の息子達と同様バッハ自身が音楽の教育を施したが15歳のとき父大バッハがこの世を去った後はベルリンに赴き異母兄のカール フィリップ エマヌエルに教育を受けた後、イタリア風の音楽に魅せられ、ミラノに渡り当時ヨーロッパ随一と言われていたパードレ マルチーニに対位方などを学んだ。後ミラノやボローニャでオラトリオやオペラの作曲家として活動を始めた。当時の流行の先端だったイタリアの様式を身につけ、代々プロテスタントだったバッハ家の伝統を破りカトリックに改宗し、名前もイタリア式にジョヴァンニ クリスチァーノと名乗り「ミラノのバッハ」と言われるほどに名声を博した。1762年にはロンドンの王立劇場に音楽監督として招聘されまさに絶頂の時期にあった。この時期にわずか8歳のモーツァルトとロンドンで始めて会っている。モーツァルトはクリスチャン バッハ大変尊敬していて、若い時期の楽風は彼から大きな影響を受けている。
クリスチャン バッハの器楽曲の作風はいわゆるギャラントスタイルと呼ばれる華麗で優雅な音楽で、作品は宗教音楽、オペラはもとより交響曲、協奏曲、ソナタ、室内楽と全てのジャンルを網羅する大変な多作である。ぼくはこれらの殆どの曲を知らない事を白状しなければならないが、ハイドンやモーツァルトと似ていながらひと味違う所がなかなかの魅力ではあるが、却ってそれがネックとなって今日まであまり演奏される機会がなかったのではないかとも思える。
今日演奏する協奏交響曲とは交響曲に複数の独奏楽器を取り入れた様式でクリスチャン バッハは様々な楽器の組み合わせで10曲以上も作曲している。その中には2台のヴァイオリンとチェロの為に書かれたものも複数あるが、ヴァイオリンとチェロのために書かれた曲は今日演奏するこの1曲だけである。後にハイドンやモーツァルトもこの作風を取り入れて協奏交響曲を書いているが、ヴァイオリンとチェロの組み合わせはその後意外な事にずっと後のブラームスまで待たねばならない。
この曲もクリスチャン バッハの他の多くの協奏交響曲やソナタ同様2楽章で書かれていて、ハイドン、モーツァルトのような緩叙楽章が存在しない。おそらくその部分は多くのばあい独奏者の即興にまかされていたのだろう。今日はそこで一案をこらした。
第1楽章は前古典派形式とでも呼ぶのか構造が一風変わっている。この辺りは大バッハが作曲した協奏曲のような構造のない構造とでも呼ぶべき主題が順次現れては戻って来る音楽である。冒頭の歌うような旋律と次の速い動きの技巧的モチーフが交互に現れソロとオーケストラが対話するように書かれている。そもそも「ソナタ形式」とよばれるようになった楽曲構成はハイドンがこの時期に自らの「量産体制」を確立する為に考えられたいわば「鋳型」のような物で(ハイドンも驚くべき数の交響曲や協奏曲を「書かねば」ならなかった)、今日考えるような普遍的かつ絶対的な物ではなかったのである。
緩叙楽章の代わりに演奏するのはジャン ピエール デュポールのチェロの為のアダージョである。といってもこの作曲家をご存知の方はほとんどいないだろうと思う。デュポールはフランスのヴァイオリニストで弟のジャン ルイはチェリストでプロシア王フリードリッヒ ウイルヘルム2世の宮廷楽長だった。大バッハが謁見したのはこのフリードリッヒ2世の一代前のフィリードリッヒ大王である。ジャン ルイは優れたチェリストで名を馳せたばかりか兄のジャンピエールの曲や自作曲を集めて21曲からなるチェロの為の「エチュード」を書いている。今日演奏するのはその第8番であるが、エチュードと言っても音楽的に大変優れた音楽である。デュポールは在任中にはるばるウイーンからフリードリッヒ2世に謁見し職を得ようと訪ねて来たモーツァルトにも会っている。モーツァルトはデュポールにフランス語で話すように強いられたりした事を根に持って後で、散々な悪態をついた手紙を姉のナンネルルに送っている。就職活動も不調に終わり3曲のカルテット「プロシア王セット」と書き掛けのチェロソナタを残して、モーツァルトは貧困のままこの世を去る事になる。この時の逸話はモーツァルトにとってもチェリストにとっても不名誉な結果だったが、この数年後(1796年)には今度は若き26歳のベートーヴェンが自らの2曲のチェロソナタ作品5を携えてウイーンからやって来てデュポールがチェロを担当して御前演奏をしている。
第2楽章はロンド。ロンドはソナタ形式と違って民衆の間から自然発生的に生まれた歌謡形式なのでその歴史は大変古い。一つのテーマを挟んでその間に様々な新しいテーマをくりひろげては元に戻るという大変楽しい音楽の形式で、楽曲のフィナーレにはよく使われている。ソナタ形式と呼ばれる物も実はこのロンドが発展した物だという説もある。ガヴォットのリズムで書かれたこのフィナーレは中間部に哀愁に満ちた、異国情緒を感じさせる(アラブ、トルコの音楽に近い)旋律が現れる。ヴァイオリンとチェロは華やかな技巧的パッセージを披露する。
尚、第1楽章では私の自作カデンツァを演奏します。